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2年目の定期検診 [長期経過観察]

今年の4月に手術から2年目を迎えた。

摘出手術をした首回り、特にリンパ節を取り除いた首の横の部分のつっぱりが取れないのがとてもきになる。そして、子どもたちにその部分を触られるのが非常に苦痛なのはしょうがないこと。この後遺症には一生付き合っていくことになりそうだと覚悟を決めた。まあ、これくらいで済んでいるので、意外と楽観視しているところはありますが。

今回の定期検診は、前回同様に血液検査のみ。毎日飲んでいるチラージンの効き具合、つまり甲状腺ホルモンを出せ〜、と脳が指示している度合いがどれだけ低く抑えられているかを確認するというもので、十分に機能しているとのこと。安心した。

次回は、再度超音波検査とCT検査になった。久しぶりにちょっと大掛かり。検査は半年後だけど、、、。

今回、病気自体のことではないですが気になることがありました。それは長期間の薬の処方が難しくなること。国のお達しだそうで、長期療養患者は大学病院ではなく、地域の病院で診てもらうようにというところがポイントだそうだ。これまで半年に一回の検診だったので、半年分の薬を処方してもらっていましたが、それが一ヶ月分のみになって、あとは地域の病院を紹介してもらって処方してもらってくださいということ。

いやいや、ガンの長期経過観察が必要な人なので半年に通院になっているんだし、地域の病院でそれ処方できないでしょ、と主治医側も反発していましたが国の決定には逆らえず。紹介状を書いていただき、定期検診の間に足りなくなる分を地域の病院で処方してもらえるように対応していただきました。なかなか面倒になりそう。

手術後、病気で通院する方の苦労がよく分かる二年間を過ごしました。まだまだ続きますけどね。

ちょっと基本に立ち返る [長期経過観察]

最近、更新をサボっていましたが、久しぶりに病院で定期検診を受けたこともあり、基本に立ち返るじょうほう収集を試みました。現在は長期(というか一生!?)の経過観察中に入り、半年に一回の通院になりました。

やさしく解説!よくわかる甲状腺の病気
http://www.koujousen-disease.net/

甲状腺ホルモンを分かりやすく説明している図
”甲状腺腫瘍は触診可能”
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/912489ffcce8e9e692009cddcdd36da4

甲状腺に関する情報は、福島の悲劇の継続もあり溢れていますが、こちらの情報は比較的親切丁寧なのではないでしょうか?自分にとっても大変参考になりました。

今後ますます増えるかもしれない甲状腺の病気。正しい理解を深めて正しい対処ができるようになりたいですね。

治療の結果、問題無し [放射線治療]

さて今回は治療結果の検査。

昨年行った放射線治療の確認のために5月に食事制限と限定量(一回目の半分以下)の放射性ヨウ素の摂取です。食事制限は前回と同じく厳しい!?ものでしたが、放射性ヨウ素を飲んだ後の数日の過ごし方は、前回と比べ物にならないくらい楽でした。今回は普通に生活して、普通に会社に行くことができたので。前回は、3日間は自宅とは別の家で、個室に隔離状態。その後も数日間は娘との接触を極力避けるという措置だったので、、、。細かい経緯は前の投稿をご覧下さい。

食事制限の後は、タイロゲン、というと〜っても高価なお注射(筋肉注射)を二回して、ヨウ素の服用に臨みました。この注射があるお蔭で、食事制限中も甲状腺ホルモンの代わりをするチラージン(合成の甲状腺ホルモン薬)を服用し続けることができます。ちなみに、このお薬は不足している甲状腺ホルモンを補充するものです。

完全に一緒の内容ではありませんが、甲状腺治療関連では名前が知られている伊藤病院のWEBに解説がありましたので、下記にリンクを転載します。http://www.ito-hospital.jp/05_guide/03_9_1isotope_thyroid.html

服用後四日目に検査で病院へ。CTで全身をスキャンして甲状腺、及び他への転移を含む以上を人の目でも確認する。そして、シンチレーション検査では全身をスキャンして、甲状腺が元々あった部分とその他への集積が無いかを確認しました。

一番重要な検査結果はというと、6月の中旬の通院の際に結果を教えて頂き、先生からは「問題無し」という結論を頂きました。

ただ、気になったのは、このシンチレーション検査の結果。もちろん甲状腺については問題なかったのかもしれませんが、全身になにやら放射線を発する物質が散らばっているように検査結果が見えたこと。この検査は放射線を発するものが全身の中でどこにどのくらい見るものなので、放射性ヨウ素以外も検知出来るシステムのよう。とすると甲状腺視点では問題ないとは言いつつも、その他はなぜなのか?度重なる核実験、原発事故など人類の生存を脅かす、そして真綿を締め付けるような悪影響がそこに現出しているのでしょうか。

これは今回の通院時に聞き切れなかったことなので、次回に確認することにしようと思っています。

二回目の放射線投与 [放射線治療]

5/11から二週間の食事制限を始めました。二度目になります。前回(昨年7月)は治療のための投与でしたが今回はその治療がうまくいったかどうかの検査のための制限です。

内容は、ヨウ素(海藻類には大量に含まれる)の摂取を制限すること。つまりヨウ素制限食ということです。特に日本人にはとても難しい食事制限で、出汁や添加物などとしていろいろな食事時入っている可能性があるので、まず外食はしていません。

さて、甲状腺はヨウ素を取り込んでホルモンを分泌しますが、そのヨウ素を取り込む唯一の器官である甲状腺を摘出したため、本来ならば食品中のヨウ素は取り込まれずに排出されます。その仕組みを利用して、一回目同様に微量の放射線(今回は10ミリキュリー程度)を発する放射性ヨウ素を体に入れ(カプセルを飲むだけ)、万が一甲状腺組織やガン化した甲状腺細胞があればそこに取り込まれることになります。

つまり本来ないはずの甲状腺細胞がまだ残っていればそこに集まるため検知されやすくなるということです。検査時に放射性ヨウ素の異常な集中が検出されなければ、昨年7月に行った一回目の同様の治療(前回は30ミリキュリー)はうまくいったということになります。

因みに、前回の治療の量だと三日間は自宅で隔離生活となりましたが、今回は量が少ないので、満員電車での通勤(私はほぼないですが)を含め普段通りの生活を送ることができます。

食事制限あと二日、、、。頑張ろう。

アクセス数2000越えが続く異常事態 [放射線治療]

昨年4月7日に甲状腺がんの手術を終えてから早くも一年が経ちました。記録のために書き進めようとしていますが、ここ一年のいろいろな想いが廻って来て、たまに書こうとしたことが吹っ飛びそうなくらいです。が、頑張って書き進めます。笑

最後にブログを更新したのが昨年8月。残存する甲状腺細胞をすべて焼いてしまうアブレーション治療のことを記録するためでした。放射線治療とはいえカプセルを飲んで三日間隔離、でも自宅では過ごせる、というもの。実はそれ以来更新していません。それにも関わらず驚きの事態が続いています。これは由々しき現象と私は捉えています。

昨年9月まではページビューが1000を切っていたのに、10月以降はコンスタントに2000ページビュー越え。どういうこと!?コメントも受け付けない設定にしているので、どういう方が見ていらっしゃるのかわかりませんが、よくも悪くも関心が高まっているということのようです。震災から5年。様々な症状が爆発的に出始める時期とも言われています。その影響でないことを願わないではいられません。

さて、健康状態ですが、別の事情で体調不良気味ではありつつも、まあ徐々に回復基調のようです。ゆっくりやっています。飲んでいる薬の量も安定しており、次回の検査を待つばかりです。次回は予定では5月後半。また、地獄のお弁当生活が始まります。日本食で欠かせないヨウ素成分除去食のため。これがあると検査に支障があるための措置です。

この検査を経て問題なければ晴れて!?長周期の経過観察に入ることになります。まあ要するに死ぬまで検査、というやつですね。気長にやります。

放射線治療一回目の補足 [放射線治療]

今回のアブレーション治療なるものの補足資料を記録としてアップしておきます。

甲状腺がん、甲状腺の機能についてhttp://www.med.osaka-cu.ac.jp/nucmed/ajaaweo.html#SlideFrame_5

甲状腺がんのアブレーション治療のガイド(ビデオ)http://www.ito-hospital.jp/09_library/video_library.html
ちなみに、この治療に関するビデオは、私が今やっているタイロゲンという注射は考慮されていないようです。

この検査は核医学検査とも言って、放射性ヨウ素の集積具合をチェックします。甲状腺の組織が残っていればそれに吸収されるためその確認として行われる治療、及び検査です。また、甲状腺周りのCTスキャンでは、ヨウ素の集積具合を三次元的に輪切りにして詳細にチェックします。二種類のスキャンを組み合わせてより詳細な診断画像をするものです。

放射線治療一回目 [放射線治療]

手術が終わったことで治療の山場は過ぎましたが、事後のリスクは最小限にいなければなりません。そのためには放射線治療が必要となります。元々、片側の甲状腺の摘出予定だったものが、幸か不幸か全摘出となったので、今回の放射線が可能となりました。

治療としては、よくある入院して、患部に放射線を定期的に照射して、、、みたいなテレビとかでもよくみるシーンを想像している友人たちにも多かったようですが、甲状腺がんの場合は、放射性ヨウ素のカプセルを飲むのが治療となります。最低三日間は人との接触ができなくなるんですけどね。

元はこの治療も入院が求められていたようですが、放射線治療の病床数が限られていて、受けられる人が限定されてしまうので、2009年から一定の条件を満たせば在宅でも治療が可能となりました。例えば個室で3日間過ごす、その間は介助者以外とは接触できない、介助者も6時間以下(食事とかは一緒に出来る程度)の接触、自宅でもトイレは別にして二回流すようにする(これは3日間で服用した放射性ヨウ素が9割方排出されてしまうため)などなどいろいろ制約はありますがなんとか自宅でも出来ることになっています。ちなみに、通常は15歳以下の子どもがいる家庭では実施しないことになっている、と放射線科の先生の言われた時はその規定がどこまでもゆるい規定なんだなとちょっと不信感は持ちましたが、まあその辺はいろいろと根掘り葉掘り対策を聞いて自分たちなりに対策をして乗り越えました。治療はした方が良さそうだったので、、、。

治療の始めは、まずはヨウ素制限食から。こういってもピンと来ないと思うので、以下のページにその全容が紹介されていますので、気になる人は参照して下さい。http://www.ito-hospital.jp/03_iodine/02_food_including_iodine.html要は、ヨウ素を含む食品(一番は海藻関係ですが、その他にも海産物はすべてですし、加工品に含まれる海産物もNGとなります)が摂取できなくなります。おおよその日本食は駄目ですね。いくつかの食品添加物もだめ。このため、外食は怖くて出来なくなりました。制限期間中は弁当を作って持って行っていました。まあ、簡単なやつだけど。お蔭でランチ代は浮きましたが。

期間としては、放射線治療を受ける2週間前から治療の三日間まで。三日目の検査が終わったら早速、わかめを食べまくりました。笑

さて、治療に戻りますが、先ほど説明したとおり、飲んだカプセルの放射性ヨウ素(I131、原発事故で問題になったやつですね)のカプセル(よくある錠剤のサイズです、入れ物はたいそう厳重になっていましたが)の内容物の9割は排出されますが、残った一割の放射性ヨウ素がまさに甲状腺(の残存組織)を攻撃し続け、全摘したときにわずかながら残った組織を取り去る働きをします。なぜそのようなことをするのかと言うと、全摘をしても一部の組織が残っている可能性があります。その組織は、がん化して転移している甲状腺由来の腫瘍の10倍のヨウ素を取り込む力があります。通常細胞が残っているとその転移組織を特定、除去するための放射性ヨウ素がすべて通常の甲状腺細胞に吸収されてしまうため、まずそちらから取り去る治療を今回行った訳です。つまり、この治療はもう一回あり、今回の6ヶ月後に再度同じことをやって、今回の治療が上手くいっていれば、次回は転移したもの「があれば」そちらへ放射性ヨウ素が集まることになりますし、転移が全くなければ、そのまま排出されるだけ、となります。

検査内容や治療期間中の過ごし方についてはまた次回に。

快気祝い〜死について語るワークショップ [仲間と共に]

悪性腫瘍、悪性新生物(がん)による手術という人生では一大事の瞬間を切り抜けて、一ヶ月を迎えたときに、これにかこつけて何かイベントをやろう!と思い立ち、友人たちに越え掛けをし始めました。そして、5月末にそれが実現しました。

これは快気祝い、と称してではありますが、まあ友人たちと飲み会(これが真の目的)ですね。

この機会に「死」や「病気」、そして「健康」をテーマにざっくばらんな話が出来ればいいな〜、と勝手な想いから開催しました。自分や、そのときに集まった仲間にはまだまだ早い、とは思いつつも、自分自身やご家族、身近な人の話ができました。

この時は、延べ15人くらいの参加者が集まって下さいました。本当に感謝しています。

最初に、地元にお住まいのお医者さまに「健康」をテーマに講演をしていただきました。それをキッカケに話す中で、ある参加者の中から、「死」についてももっと語りたい、というとてもいい振りを頂き、そこからは各参加者の皆さまの「死」に関するエピソードを話して頂く時間になりました。それぞれの内容は参加した方々だけの宝物ですが、その場の雰囲気は、「静謐」という言葉が思い浮かぶ程、素敵な空気が流れていました。皆さんそれぞれの赤裸々なお話を頂き、主催者としては思った以上の収穫でしたし、皆さんに本当に感謝しています。

自分自身の手術前後についてのエピソードもお話させて頂きました。涙をぐっとこらえつつの話もありましたが、それを乗り越えて来られたのは家族の支えがあったからこそだな〜、と思います。そして、その気持ちを40前のこの年で感じられたのは大きな収穫でした。人間忘れっぽいものですが、追加治療や検査(少なくとも経過観察は20年は必要なようです。新しい制度でがん治療をした人の登録制度にも加入するそうです。)はまだまだ続いていくので、それを惰性としてではなくその時の想いを忘れない措置、として考えられればと思います。

テーマがテーマだっただけに、参加者の皆さんととてもいい話が出来ました。皆さんに取っても良い機会になったのではないか、と勝手に思っています。こういった立ち入った話をするのはなかなか難しいとは思いますが、今回の参加者の皆さまは非常にオープンで、それぞれを信頼できる仲間と捉えて下さったことが会の成功の要因だったように思います。また、次回も何か違う形でもやってみたい!と思わせるとても素晴らしい会になりました。

声が出る!~術後の回復状況 [手術後の経過]

ようやく前回の投稿で、一番初めの投稿につながる。前回あった内容の手術前検査後、週末にバタバタと入院準備をして、月曜日には手術前日に備えて入院となった。その後の入院から退院までの経過は最初の方の投稿をご参照を。

ここでやっと退院後の生活へ。

退院後に辛かったのは3つ。飲み込みづらい、声が出しにくい、左肩が上がらない。

最初の2つは想定内。全摘した甲状腺の真裏に走っている神経がこの二つに関係があり、手術でそこを触りながら摘出する。術後はしゃがれ声になったのと、嚥下がしにくくなった。

声は、いい感じのハスキーボイスになったね~、と冗談ぽく言われましたが本人的には喜んでいられる状態ではなかった。三ヶ月経った今現在もまだ残るが、話をするときに思った以上に意識していて、結構な神経と体力を使うことがわかった。当初は話すのが嫌いになりそうなくらい出しづらかった。

嚥下は、ごっくん、と飲み込んだり、ゲップがしづらいという状態。ご飯もいつもより少なめしか飲み込めなくなった。よく噛んで少しずつ食べましょう!ということなんでしょう。順調に回復している感じはするが、3ヶ月経ってまだ残っている状態。まあ、最悪声が出なくなる、というリスクも言われていたので(つんくと一緒!とか喜べない)、ほっとはしましたが、、、。

最後の左肩が上がらないのは大きな誤算。事前に聞いてなかったし。まあ直前の検査で決まった術式だったので説明漏れもあったかもしれませんが。今回、甲状腺組織以外に、側頸部のリンパ節にも転移が見つかり直前で術部が拡大。しかし、そこには腕の神経が通っていて、手術でそこに触るためここもまた後遺症が出ることに。入院中に左側側頸部が特に痛かった理由が後日の先生の説明でやっとわかる。かなり痛く、また腕が肩の高さ以上に上がらなかったが、後日の診察の時も、リハビリしましょうってこともなし。放って置かれたので大丈夫かな~と思ってたけど、やっと最近元に戻ってきた感じがする。

手術前検診はジェットコースターのよう [手術2]

4月2週目の手術に向けて術前の検診を受けに病院へ。

11月にも術前検診を受けているので、前と一緒、という感じでエコーや肺のレントゲン、そして上半身のスキャン検査を受ける。ここまでは問題なし。

そして最後の診察へ。ここで驚愕の事実が、、、。2カ所転移がはっきりと出ていますね〜。

、、、、え?何それ。そーてーがいなんですけど。

もう少し詳しく説明してもらえませんか?

ということで、症状を詳しく聞く。一回目の検査で、右側だけだったと思っていたものが、おそらく左側にも隠れていて、しかもそちらから左のリンパ節まで転移が飛んだ可能性があることを指摘頂きました。どれも1cm以下ではあるものの、リンパ節転移はただ事ではないですね。

急遽予定変更で、予定になかった細胞診を実施。午後まで待つことに。病片が小さすぎることもあり結果は悪性「疑い」と出ていましたが、どうもあやしい。多発性の甲状腺がんということで、またリンパ節転移もあることからリスクが前の時よりも上がり、手術の術式も変わることになりました。

以前は、片側だけの予定で、もう片方は温存し、甲状腺の機能は維持されるだろうとのことだったのですが、この段になって全摘出、という事になってしまいました。
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